一世

葬列

 眼がつかつか疼くと思つたら、白色の化粧煉瓦の建物に日光が反射してゐた。その下を建物に極く接近して葬列が旛を先達にしづしづと流れて行く。建物と葬列との長さは、どちらが長いのかよくは解らなかつた。前を見ても後ろを振り返つても、この葬列の長さがどこでつきてゐるのか見極められなかつた。それほど実に立派な葬列であつた。己のたづさはつた葬列にしても、こんなのは極く稀である。某カウントの葬式なのだ。白色煉瓦に映るその葬列の影を見ただけでも解る通り、旛、華、放鳥と言つたやうに、一通り以下ではない揃ひの物の影が歪んだ形で歩いて行くのである。そして旛が翻へるとも見えないほど静かな天候だ。見物人も大へんなものだ。幾重にも人垣をつくつて息を殺してゐる。なかにはハンカチで顔を掩ふてゐる者さへ見うけられる。
 己はこの葬列と歩調を合はして歩いてゐる。犬が踊り出て来て、葬列と平行にしかも一直線に前方へ馳けて消えてしまつた。己にしてもゆつくり歩けるのが何よりいい。己は空を見上げたり夜分になつたら同輩とテーブルを囲んでトランプをすることなどを考へてゐた。歯の芯が痛むやうな気さへ感じた。そしてひよつこり首を延べて、建物を見た。この驚くべき建物、万里の長城に等しいこの建物には窓が開いてなかつたのである。そこで己はこれが塀ではあるまいかとさへ思つてみたが、そんな形迹は微塵も見うけられなかつた。警官が剣をちやらつかせ、靴音高く己の傍を馳け過ぎて行く。この瞬間だつた。窓のないこの建物の一ヶ所が裂けたのか、どうかはよく解らなかつたのであるが、あツ! といふ叫び声とともに一人の若者が、この葬列の上を飛び越えて己の数間前へ転落して来た。
 その若者は坐つてお辞儀でもしてゐるかのやうに、地面へ釘づけになつた。彼の咽からは血が迸り出た。彼はそのまま日に照らされながら死んで行つた。どうも過で転落したとは見えないのだ。ところがこんな突発事件があつたにも拘らず、彼の最後を目撃した者は己一人だけだつた。みたところ葬列の人達さへ誰一人として見向きもしなかつた。葬列はしづしづと前方へ進んでゐた。しばらくすると民衆の一団が彼を取囲んだやうだつた。
 その若者は空から降つて来た人間ではなかつた。ただ窓のない建物の窓がなければならないやうな場所から転落して即死したまでであつた。いや、彼は自殺したのかも知れない。
 己は彼の顔を見なかつた。覗き込んでみたいとは思はなかつた。シヤボテンのやうにひしやげた頭を誰が起してみるものか。やれ、やれ、近いうちに役目がまた一つ増した譯になつた。
 己は奇妙に苛々したやうな痛痒いやうな感じで歩いてゐた。葬列は淋しく夕のなかを突き進んだ。今は日暮れだと思つてゐたのに、町はもう雨でも降り出しさうに、しよぼしよぼ湿りはじめてゐた。そして街燈には霧のやうな宵闇が附纏ふてゐた。
 そして午後の七時ころその葬式は、埋葬式を終へて形がついた。
 その帰りがけ己はぶらぶら町中を彷徨ふた。林でもあるのか、かすかに葉ずれのひびきが鳴つてゐる。林と思つてゐたのは間違ひで、そこは公園地の並樹路であつた。遠くに赤い電球が葉の隙から洩れてみえる。ポリスボツクスだらう。己が歩いてゐると、ひよつくり青年につきあたつた。
「や、あなたでしたか。墓へ行く前に今夜一晩楽しく遊ぶつもりです。」
 青年は己と肩を並べて歩いた。
「病死でしたか?」
「いいえ、さつきあなたが御覧の通りです。」
「あゝ、あれは君でしたか。それにしてもあれはどうしたはづみです?」
「自殺です。あの立派な葬式の上へ自殺してみたまでです。僕の一生に、僕がどんな偉い者になつたところで、あんな葬式は出せませんからな。蝋人形の美人を見て、己の生きてゐるうちにこんな美人には会へないと言つて自殺した青年がありましたな、外国に。こんな心理です。」
「君、自殺でしたか。すばらしいな──」
「ところが、さつき向ふの交番の告知板で知つたのですが、僕を即死者と書いてゐました。ずゐぶんふざけてゐると思ひました。」
「書き置きをしなかつたでせう?」
「ええ!」
「では、解りやうがないぢやありませんか、人間には。ところで君はカウントの讃美者として列死したことに数へられはしまいか?」
「・・・・・・」
 己たちは、即ち己は新しい死者を従へて夜の町へ出て行つた。

(大正十四年七月『文藝時代』)

※底本:『富ノ澤麟太郎集』

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